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婦人画報 大正14年 日本料理の本質とその欠点② 北大路魯山人 原文

婦人画報 大正14年 日本料理の本質とその欠点② 北大路魯山人 原文

それから、日本婦人にしても、大多数の婦人が料理屋の料理には全然理解がない。男は宴会などに出るので見てはいるが婦人としては料理屋の料理はどんなものを出し、扱っているかということはしらない、これらも日本料理が影を薄くする原因であってもっと婦人が進んで日本料理の調理法というものを研究されたらいいんだろうと思う。今日の一般家庭で使っている鰹節のごとき、あれは削るかんなを満足なものを用いている家庭があるかと聞かれたら、おそらくあるというはどうであろうか。それから、昆布のごとき、かつお節以上の役をなすものであるが、あの出汁のつくり方を知っている主婦はおそらく參ヶたるものであろう。この二つのものは日本料理の根本基調となる調味上大切なものであるに不狗、その用具といい、使用法さえ知っている人が少ないのであるに至っては驚くのほかない。例えば、鯛の潮煮にかつお節を用いる向きもあるが、これなどは間違いも甚だしいものである。あれには昆布を用いて初めて味がある。それは魚と魚では相殺することになるので魚と海藻といった合理的なもので初めて美味しい味がでるのである。

また、鰹節も悪いかんなで削るため、1円の品も50銭にしか使えない莫迦なことをしている。鰹節はよく切れるかんなで薄く削ってはじめてその効果がでるのである。よく方ヶの家庭で見る鰹節を惜しんで粉のようなものをパラパラと申し訳的に入れているが、あれでは入れても何の役にも立たない。5人の料理には1円のかつお節を1本使うくらいでなければ、本当の味のある料理は得られない。つまりこれなども見えないところだから勿体無いくらいに考えている人が、本当の料理の使用法を知らないですることで、すべてが万事知識と研究を欠いては到底美味な料理もできなければ、又料理人たる資格もないことになる。こういう些細な点においては一般主婦は無自覚であって、男よりも料理については無知であると言って過言ではない。

そこでに日本料理としては古来から油というものを使わない。植物性の油を使用しているのはあっても、動物性の脂肪は使用料理、支那料理等に限られているもののごとく、絶対に使っていない、こういう点も又近来の青年達に迎えられない原因の一つである。最近に西洋、支那の料理が混入してきたり、又多く喜ばれるのは、栄養価から言ってもそれは確かに争われないものであるが、支那料理に至っては現今では決して賞味するほどのものではないというわけは、なるほど料理としては複雑でもあり、多様でもある。が、日本料理が決してそれと比較して遜色のあるものではないには、西洋人には日本料理は脂肪分の少ない点で向かないかもしれぬが、支那料理はその点では彼らを満足させている結果、世界一などというふうに評されているけれども、それはずっと昔のことであって、300年も以前にはそれは確かに世界一であったかもしれない。

その時代には食器なども今では見られないような立派な世界に誇るものもあったがそれだけに料理の趣味も高く研究されたものであったが、現今の支那料理は甚だしく堕落し、低下している。料理屋にしても日本の共同便所のような汚い厨房で欠けた椀や皿に盛った殆ど外観の美というものを忘れたものであって、昔日の名が徒らに残影となっているに過ぎない。

料理というのは内容も第一であるが、やはり外観の器皿調度に至るまで完備していなければ完全ということは言えないのはもちろん、食欲を誘うことにならないのである。

支那料理があのように獣肉を多く用いたのは地形状の影響もあるので、海岸の少ない支那は海のものが極めて少ない。

又魚類も豊富でない関係上、ああした調理が発達したのであるが、日本は所詮環海であって、それに豊富な魚族が採るにまかしているところで、何を苦しんであんな野獣を用いる必要があろうか。

料理法はともかくとして、不自由な支那料理の材料を真似て日本の豊富な材料を等閑にして、いることは愚かも甚だしいことである。西洋料理、支那料理の混入もいい、しかし日本の如く恵まれている材料を捨ててまでもそれを入れるのは誤ったことである。ことに今日のように凡てに多忙な時に当たって複雑感極まる料理法を以ってすることは謹まなければならぬことである。

魚といえば、昔から鯛か平目でなければご馳走のように思っていないのも又市場で捨てるような安い値の俗に下等な魚としてあるものに、意外な美味な、そして栄養価の潤沢なるもののあるのも知らないのか、知っていても主観にとらわれて軽蔑してか、用いないのは本当におろかなことである。

それと日本では野菜を又一般に軽視して[お野菜ばかりで]などと妙に自卑しているが、野菜くらい尊いものはないのであって、野菜料理も先刻のかつお節のことではないが、調味の方法によっては、賞味されるものである。この野菜なども潤沢にある日本では一般的に主婦の方々が真実に日本の料理法ということについて自覚され、料理屋へもどんどん出かけて研究されたならば、双方とも刺激になって、良い結果をもたらすだろうと思うのである。尚日本料理の欠点としてあまりに材料よりも技工に重きを置いた結果、本末転倒して今日の衰退を招来したものであろう。つまり日本料理は食べる料理でなく見る料理などと言われるのもその原因でこれからはもっと材料の本質をいかして技工も大切ではあるが、本来の味を失わぬよう調理すべきである。

婦人画報 大正14年 日本料理の本質とその欠点① 北大路魯山人 原文

婦人画報 大正14年 日本料理の本質とその欠点① 北大路魯山人 原文

純粋の日本料理というものは現代の一般的の水準から見ると旧態依然として低い点に位置して、要するに百年1日、昔からの形式そのままである、例えば他の物に比べて建築に服装に趣味に種々なる方面においても、東西両洋の交流はあらゆる改革変化を繰り返しているにもかかわらず、所詮日本の料理屋のものと言われる料理の内容外観ともに、それらの外界の変化発達には何ら省るところなき、極めて保守的であることは一面においては国粋保存というような意味もあるには違いなかろうが、また一面においてはそのため暫次、日本料理というものが、社会の表面から押しのけられてゆく傾向を示していることは争われぬ事実である。

西洋料理や支那料理が安価にして、栄養価に富んでいるという点から、それらの料理ほうが加味されたのは一般家庭の料理か然らずんば労働者階級のものに多いというだけであって在来の日本料理には何ら影響を受けていない。

従って今日のような時世には保守的な料理法は一般的には高価に過ぎ、外観ということに重きを置くため、実質本位の人々には歓迎されないという結果、だんだん不振の状態に立ち至ってきたような有様である。

けれども不振の原因はこればかりではない、もっと重要なものがある。これは日本料理において料理人、つまり板場というものは何らの知識教養もない小僧から仕上げたものが多く社会一般の傾向が赤くなろうが白くなろうが彼らには何ら理解のない連中である。建築とか服装とかその他のものにはそれに従事する人もまた、需要者の方にも刺激があり、指導があり、かつその潮流に遅れまいと努力するので十分な発達も進歩もするのであるが、日本料理に至ってはそれが皆無である。たまたまそうした人があると異端者扱いをして彼らはそれをいれないのである。

それならば彼らは到底御し難いかといえば、そうでもあるまいと思う。例えば役者でも昔は河原者と卑しめられ、又事実卑しい者が多かったため、彼らが演出する芝居なるものも低級なものであったが、長い年月の間にいろいろと薫陶され、鞭撻されて彼ら自身も自覚してきた結果今日の俳優となって、芸術家と言われるようなったのであるから、料理人といえども訓練を受け刺激を与えるならば発達進歩もするのであるが、由来彼らの無自覚をしてその無自覚に安んじさせているのは、彼らが低級で無智なるにも由るであろうが、今一つは需要者、即ちお客の方にも罪があると思う。世に食通とか江戸通とかいって、その通を振り廻される方々が、八百松とかなんとか昔からの幻影的暖簾名に憧れて、旧態依然たる料理を賞味することはやがてここに料理法の改良とか、発達とかいうことは試みる余地がなくなっている。何でも大江戸の昔の味をそのまま残す、それはいいが、現在では単なる形式だけしか残っていないにも知らずに、半可通を振り回されるので料理屋の方でも好いきになって何の改善もしないということになってくる。これらはお客として料理に対する理解のないものであって、これなども発達しない主な原因となっている。

【北大路魯山人が伝えた家庭料理】

 【北大路魯山人が伝えた家庭料理】

京菜の寄せ鍋 寒い時に喜ばれる鍋物のことを申します。京菜は新鮮なものをよく水洗いし、油揚げは4隅を切り落とし1枚ずつはがし、糸のように刻みます、普通の汁より濃い出汁をつくり、汁が沸騰したところへサッと煮て食べます、別名水菜のパリというくらいで京菜が煮えすぎては美味しくありません、ちょっといれすぐたべます。京菜は白いところだけいれます。

宵夜鍋 中国では冬になって、この鍋をつついていると、宵から夜半まで食べ続けても飽きないという料理です。

材料は豚肉と法連草だけで酒を煮立て酒と同じ分量の醤油を入れて、つくり、その中に、豚とほうれん草だけをいれ食べます。醤油に生姜を入れたものだけを入れて食べます、濃厚な味が好きな方は脂肪の多いところを使います。ほうれん草は茹でないでそのまま入れて食べます

魚のすき焼き 鯛、 サワラ、いせえびに季節物の野菜を入れて煮たもので、汁は酒と醤油を同量煮たものを使います。海老の味噌から、良い味が出ますから皮を剥かずそのまま入れます。エビの代わりにあんこうを用いても美味しいです。

すべて、魚を主とした寄せ鍋の時は出汁は酒と醤油でつくり、鯛の頭やエビなどをいれます。

春先の献立 

  1. 野菜スープ
  2. 白汁魚王
  3. 琥珀揚げ
  4. 鯛の山椒焼き
  5. ふき飯

野菜スープ 人参、じゃがいも、かぶ、だいこん、セリ、ミツバなどを沢山の水でコトコト煮出します。

ネギや玉ねぎも良いですが、バターが欲しくなるので、味がくどくなります。野菜の全ては切れ端や皮でも何でも結構です。

野菜を煮出したら、布で濾し、野菜の煮汁と鰹だしで半々で合わせ、塩で味をつけます、それから、豆腐を椀に1個盛りくらいの大きさに切り、煮立っている汁の中にいれひと煮立ちしたら、鍋をおろして椀に盛ります、その上から生姜の絞り汁か胡椒をいれると気の利いたお椀になります。器は必ず塗椀が良いので茶碗などは安っぽくなります。豆腐も小さく切ると普通の汁になってしまいますから、1個盛りの大きさに切ることが肝要です

白汁魚王 これは最近に私が考えた料理でちょっと変わった感じのものです。まず、活きの良い鯛の頭を求め、丁寧にウロコをとり、2枚におろします。魚屋などは頭などはウロコが取りにくいためよく残ることがありますが食べる時にウロコが出てきて厄介です。ですから、最初に十分にウロコを取り去らなければなりません。そのまま少し深い平バチにいれ、上等の酒を魚が半分に浸かるくらいまでに入れます。この時、鯛が新しいものであれば左記のようで良いですが、古いようなものであれば、薄塩をして、少し置き酒につけます、そして、鉢のままセイロに入れますが、十分に湯気のたったところへ入れます。15分ほど蒸しますと魚の芯まで煮え酒の香りも失せますから、酒の香りが薄くなったのをみて、取り出します。中を見ると魚の汁と、湯気のため酒汁の量が増え、汁の色も濃くなります、この鉢をそれぞれの小皿にとりわけ酢醤油をつけ食べます。酢と醤油は同割で生姜の絞り汁をたらし完成。酢の代わりにレモンや柚子などの柑橘だと尚うまい。

この白汁魚王の面白いところは頭を丸のままに出すので器の真ん中に鯛の頭が浮いてるのを見ると、これはうまそうだと一驚します。

鯛は大きすぎても小さくてもまずいもので、1キロから2キロくらいが一番美味しく思います。

琥珀揚げ 筍を皮のまま糠に入れて炊き、乱切りにします。そして湯気のたっているうちに小麦粉をまぶし、ごま油で揚げます。

前もって濃い葛餡を作り、筍が揚がったら、その中にいれます、餡は濃い目の出汁をとり、醤油と砂糖に酢を少し入れ、酸味を加えます、葛をとき、少し練ります、葛の硬さは普通より少し固めにします、

 

鯛の山椒焼き 鯛の肉を一寸角に切り、串にさして素焼きします、これはなるべく骨のついたところが良いので、肉だけではうまくありません、別の鍋に酒と醤油の同割を少し煮詰め、山椒粉を混ぜいれます、これを素焼きにした魚の両面に塗り、3回くらい塗っては炙ってを繰り返します、上記の汁に砂糖や味醂を入れるとお惣菜味になりますから、醤油と酒のみをおすすめします。

ふき飯 蕗の皮をむいてしばらく水にさらし、アクが抜けたら、包丁します、普通の水加減にコメを仕掛け、米1升につき2合くらいのふきを塩など加味せず、炊きます、別に煮汁をつくり、醤油と吸い地をお付けし、ごはんの上から汁をかけます、非常に香りと風味がよいので、筍飯でもここまでいかないと食通によろこばれます。

【北大路魯山人の料理感】原文

北大路魯山人の料理感

出汁の取り方と煮方  素人の方が料理をすると美味くできないのは、どういうわけかと申しますと、材料にばかり重きを置いて、肝心の煮だしを粗末にするためであります。家庭料理を見ておりますと出汁をとるのも、かつお節をホンの少し入れて、出汁をとりますし、酒、塩、などは安いものを使います。これでは、どんなに材料が良くても美味しく出来るわけがありません。油揚げと豆腐の煮付けでも、南瓜を煮ても出汁を良くして煮方を上手にすれば、立派なモノができます。材料を買う時は500円高くても平気なのに、鰹節や塩などなくなる調味料に関しては出し惜しみする。仮に1回の料理に鰹節を1袋使っても1000円もいかない。しかし、1度の料理に1袋も使いません。

また、酒にしても同じことがいえ、出汁を要するものは思い切って出汁のたくさん入れることです。

お汁と煮物の出汁が必要な時はどっさりと煮立たせた中へ入れて、すぐ火を消し。澄んだところで漉します、これが吸い物の出汁です。漉した鰹節は2番出汁をとり、煮物に使います。鰹節は背側は味が軽いが腹側は脂分で味が濃厚になります。

南瓜、大根、芋などは濃い出汁をたっぷりといれ、汁がなくなるまでゆっくり煮るのが秘訣です。形が崩れないように、また味が一方ばかりにしみないように時々混ぜて万遍なく行き渡らせなければなりません。イイダコは煮出汁を半分位まで煮詰めていれます。基本的に蛸は酒と醤油を半々にして、煮立たせタコをサッと入れてスグに食べるのが一番美味い煮方です。

煮物をするのに、醤油がいくらなどと分量を申しますと、それにばかりとらわれてかえって、美味いものは作れません。

それよりは、その時に応じた料理をしなければなりません。ふくよかな方や痩せた方では趣向が違いますが、お酒を飲む方と甘いものが好きな方で好みが違います。そこは料理人の機転がようされます。甘党の人に辛いものを出してはどんなにおいしい料理でも美味しく食べさせることはできません。

【懐石について】

懐石について

懐石とは、正式の茶会で出される料理のことです。

基本構成としては、最初に漆のお膳にお客の来訪に合わせて、炊いた、炊きたての[ごはん、味噌汁、お菜]そのあと、[煮物]、[焼物]、[香の物、お湯]最後に、最後に[甘味]

宴会料理の[会席]とはちがい、大きな違いとしては最初にごはんと味噌汁が出ることです。

簡単に区分けすると会席は酒を飲むための料理、懐石は抹茶を飲む前のちょっとした食事、といったところです

基本的に懐石の約束事は

  1. 食べきれる量であること
  2. 食べられない飾り物をもちいない
  3. お客様のもてなしに心をくだくこと、亭主と客の間に会話はなくとも、気持ちがかよう