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婦人画報 大正14年 日本料理の本質とその欠点① 北大路魯山人 原文

婦人画報 大正14年 日本料理の本質とその欠点① 北大路魯山人 原文

純粋の日本料理というものは現代の一般的の水準から見ると旧態依然として低い点に位置して、要するに百年1日、昔からの形式そのままである、例えば他の物に比べて建築に服装に趣味に種々なる方面においても、東西両洋の交流はあらゆる改革変化を繰り返しているにもかかわらず、所詮日本の料理屋のものと言われる料理の内容外観ともに、それらの外界の変化発達には何ら省るところなき、極めて保守的であることは一面においては国粋保存というような意味もあるには違いなかろうが、また一面においてはそのため暫次、日本料理というものが、社会の表面から押しのけられてゆく傾向を示していることは争われぬ事実である。

西洋料理や支那料理が安価にして、栄養価に富んでいるという点から、それらの料理ほうが加味されたのは一般家庭の料理か然らずんば労働者階級のものに多いというだけであって在来の日本料理には何ら影響を受けていない。

従って今日のような時世には保守的な料理法は一般的には高価に過ぎ、外観ということに重きを置くため、実質本位の人々には歓迎されないという結果、だんだん不振の状態に立ち至ってきたような有様である。

けれども不振の原因はこればかりではない、もっと重要なものがある。これは日本料理において料理人、つまり板場というものは何らの知識教養もない小僧から仕上げたものが多く社会一般の傾向が赤くなろうが白くなろうが彼らには何ら理解のない連中である。建築とか服装とかその他のものにはそれに従事する人もまた、需要者の方にも刺激があり、指導があり、かつその潮流に遅れまいと努力するので十分な発達も進歩もするのであるが、日本料理に至ってはそれが皆無である。たまたまそうした人があると異端者扱いをして彼らはそれをいれないのである。

それならば彼らは到底御し難いかといえば、そうでもあるまいと思う。例えば役者でも昔は河原者と卑しめられ、又事実卑しい者が多かったため、彼らが演出する芝居なるものも低級なものであったが、長い年月の間にいろいろと薫陶され、鞭撻されて彼ら自身も自覚してきた結果今日の俳優となって、芸術家と言われるようなったのであるから、料理人といえども訓練を受け刺激を与えるならば発達進歩もするのであるが、由来彼らの無自覚をしてその無自覚に安んじさせているのは、彼らが低級で無智なるにも由るであろうが、今一つは需要者、即ちお客の方にも罪があると思う。世に食通とか江戸通とかいって、その通を振り廻される方々が、八百松とかなんとか昔からの幻影的暖簾名に憧れて、旧態依然たる料理を賞味することはやがてここに料理法の改良とか、発達とかいうことは試みる余地がなくなっている。何でも大江戸の昔の味をそのまま残す、それはいいが、現在では単なる形式だけしか残っていないにも知らずに、半可通を振り回されるので料理屋の方でも好いきになって何の改善もしないということになってくる。これらはお客として料理に対する理解のないものであって、これなども発達しない主な原因となっている。